愛してやまない

観劇ログ、はじめました。

「相対的浮世絵」

「相対的浮世絵」観劇しました。
 とても、ヒューマンドラマでした。演者5人だけの会話劇なんですけど、ただ墓地で昔話をしているだけで、こんなにも不穏で薄気味悪くなるのかと。会話の内容というより、どんな背景を持った人間がどんな言い方をするのか、なんですよね。明るく言っていても、隠しきれない薄暗い感情が滲む。無言の“間”も多いんですが、行間とか台詞以外から読み取れる言葉がたくさんあった。台詞量に対して、言外の情報量が多いように感じました。会話劇だからこそ、感情の揺れ動きがより鮮明に浮き出ているみたい。
 それなのに、最後はスッキリと、不思議な清涼感がある。真っ青な空を仰ぎたくなるような、「あー、良かったな」って感想を抱くくらい。観ているだけでこちらの憑物も落ちるような、不思議なパワーのある作品ですね。

 

小劇場文法の戯曲

 ヒューマンコメディと定義されてるんですが、コメディ、でいいのかなあ。笑いはあるんだけど、国内小劇場の文法だなあと思った。観る前に思っていたものとはずいぶん毛色が違った。これはぜひ本多劇場で見てみたかったです。すごく小劇場の匂いがする。対お客様と言うよりは、手強い魔物相手に様子を伺うような匂いと表現すればいいのか笑、演者と客の心理的距離が近いんですよね。世界軸が違うので交わりはしないんですけど。戯曲そのものが、MONO弁と呼ばれる架空の方言を使った作品なので、まるで日本のどこかで実際にあった話を見ているような錯覚に陥る。東京公演で観た方が羨ましい。大阪公演は箱こそ大きいんですけど、やっぱり戯曲の匂いはそのままなんですよ。ぜひ、客席の密度もぎゅっと詰まった箱で見たかったな。

あらすじ

 岬智朗・関守は高校生時代に火事で、智朗の弟・達朗と、友人・遠山大介の二人を亡くしている。学校を卒業して、社会人になって、中堅としてそこそこに地位につきながら、二人は各々ややこしい問題を抱えていた。
 そんな二人の前に、突然死んだはずの達朗と遠山が現れ「二人の力になりたい」と言い出す。当時の火事に罪悪感を抱く智朗は真意が読み取れず、疑いながらも関と共に二人ともう一度関わりを持つのだが……というお話。
 
 智朗の煙草が原因で燃え広がる卓球部の部室。窓から一目散に飛び出した達朗は、部室内に取り残された兄を助けようともう一度部室の火の海に飛び込み、ロッカーに下敷きになっていた遠山と一緒に焼け死んでしまう。だが、智朗は既に遠山を置いて部室から脱出しており、水を探してくると言って帰ってこなかった関と二人だけが生き残ってしまった。
 恨まれているから、今さら化けて出てきたんじゃないか、と疑う智朗。見捨てたわけじゃない。俺は消防車も呼んだし、できることはやった。だから俺は悪くないと言い聞かせている関。意図をはかりかねながらも、二人の幽霊らしい力を頼って、現状のややこしい問題(智朗は横領・関は女子高生淫行)を解決しようとする。だが、生きている人間に影響を与えすぎてはいけないという戒律に抵触してしまって、一度解決した後にやっぱり全部元に戻させて!って展開。
 

不思議と前を向ける結末

 火事の時パニックになって、遠山を置いて逃げてしまった上、弟まで失ってしまった智朗は罪悪感が強すぎて、当時は泣けなかった。だから、今回の別れはちゃんと寂しいと泣かせてほしい。もう二度と現世に来ませんって言う二人をそう言って見送る。その後も生きている二人で高校生の時のくだらない遊びをしながら、空を見上げる。悲しいはずなのに、清々しくて、全部失ったはずなのに、また前を向けるような不思議なエンディングだったんですよね。
 こんなの全然ハッピーエンドじゃないし、結局生きてる人間が割りをくっている*1んですけど、救済は確かに存在した。アンバランスを崩壊させて、すべてフラットにしたらバランスとれるし、地に足もつく。智朗と関も、心の中ではずっとそのきっかけを求めていたのかもしれない。特に智朗の方は、罪悪感から解放されたがっていた*2ようにも見えたので。
 それなら最初から化けて出ない方が良かったのでは……と思ったんだけど、遅かれ早かれすべてを失うはずだった二人に、(火事のことも含めて)過去を精算させるきっかけを与えたのはやっぱり大きかったのかな。
 

各キャストと登場人物について

山西惇さん

 山西さんの役、野村が「明るいお喋りおじさん」なのに、どうにも奇妙で背筋がぞわつく。怖いことなんて言ってないんですよ。なんなら、本人は自分の青春話を聞いて欲しかっただけなんですから。特別な台詞も、動きもないのに、こいつはおかしいと危険信号が出る。役者ってすごいな、と思った瞬間でした。
 
 野村も青春話、言いたかっただろうな。でもつまんないらしいからいいや笑。野村のほぼほぼ連想ゲームになっているシーンがおもしろくて好きでした。あのすっとぼけ小芝居楽しいだろうなあ。

伊礼彼方さん

 私の記憶が正しければテニミュ以来の伊礼彼方さんだと思うのですが、まあ〜〜〜楽しみにしてました。事前に「歌わない」って聞いて勝手にがっくりきていたくらいなんですよ。でもストレートプレイの伊礼さん、とっても新鮮で素敵でした。
 大劇場のミュージカルって、独特の芝居文法とでも言うのでしょうか?特殊技能だと思うんですよ。そして、小劇場も独特の空気感がある。伊礼さん以外も異色のキャスティングだったので、どんな風になるのか想像がつかなかったんですよね。でもすごく自然に、そこに生きていた。
 
 大体のことは苦労なくできる智朗は火事さえなければ絵に描いたような順風満帆人生を送っていたはずなのに、弟と友人の死から少しずつルートがズレていってしまったんじゃないか。命日を忘れるくらいには、二人の死が遠い日常になっているという描写があるんですが、最初に歪んだルートにのったら、きっと元には戻れないんですよ。
 だから、今回でリセットできて良かったね。エンディングの伊礼さん演じる智朗の顔が本当にすっきりしていて明るくて、観ていてつられた。

NONSTYLE 石田明さん

 もちろんテレビでは拝見したことありますが、お芝居では初めてです。でも石田さんは石田さんですね。コントの石田さんをそっくり移植したような感じで、悪人ではないけどちょっとずるい?セコイ人間がとても生々しくて良かった。こういう奴おるよな〜!って強く共感。はたから見たらめちゃくちゃ腹立つけど、本人はうまく生きてるよなって感じの"味のあるキャラクター"が立っていました。ご本人もパンフで「演劇もコントも自分にとってあまり違いがない」とおっしゃっていたので、解釈一致ですね。
 
 関は女子高生しか好きになれない性癖がある。これは好き嫌いの話じゃなくて、心がそのカテゴリにしか呼応できないんですよ。男の人がすき、とか、女の人が好き、と同じレベルで関は女子高生が好き。でも法律的には違法。生き辛いよね。
 この性癖を達朗に打ち明ける時の「でも仕方ないよね」って感じの話し方が、すごく良かったなー。軽快で、乾いた諦めすらある。自分が年齢を重ねれば重ねるほど、自分の恋愛対象から離れていくのって結構地獄だと思うんだけど、この諦めを得るまでにどれくらい寝られない夜があったんだろうって。
 寝られない夜、というのは関がよく言う冗談なんですが、ふざけて言ってるだけでわりと本当も混じってるんじゃないかな。関ってそういう男だと思うんですよ。気が小さいだけで、意外とまっすぐな男というか。付き合ってたピーちゃんが別れる時に泣いてくれたことも、そういうところが繋がっているんじゃないかなあ。

山本亮太くん

 山本くんの出る舞台って、本人の持つ優しくて気遣い屋なところとか、見た目以上に繊細なところを拾ってもらえることが多いなあと思っていて、やっぱり今回も気遣いのキャラクターでしたね。健気でまっすぐなところがぴったりでした。みんなに好かれるかわいい末っ子、の図ですね。ただ、いつもなら大体自分の武器をどこかしらに出してもらえる。アクロバットだったり、ダンスだったり。でも相対的浮世絵は会話劇だから、その武器全封じなんですよね*3。だからすごく物珍しかったな。
 お芝居としては自由にさせてもらっているような、周りが支えるような図式に見えたし、達朗という人物の立ち位置からしてもそれが良いなと思いました。贔屓目はありますが。
 
 火事で亡くなった弟が化けて出てくるけど、達朗って他の登場人物と比べてもあんまり怖くない。達朗は最初から最後まで兄のために動いていた。達朗が亡くなったのは高校1年生で、頼りになるお兄ちゃんがいて、後ろをひっついて歩いていたような弟なんですよね。だから、その時の純粋でまっすぐなままなんですよ。世界の中心にお兄ちゃんがいるような。あとは学校のかわいい女の子と、卓球と。そういう狭い世界で優しく育った子のまんま、時が止まっているんです。
 智朗や関は、大人として生きていく上でいろんな打算とか妥協とかするようになってる。もう高校生の時の智朗や関じゃないんだけど、その間の生きている二人のことを死んだ二人は知らないから、どうしても不和が生まれる。だから、「お化けじゃないよ!」「俺が何なのかって言いたいの?弟だよ。それ以外になにがあるの?」って疑問が悲しくなる。最終的にはお化けだねって自分でも認めるんだけど、達朗は最初から智朗に弟だとあの時みたいに扱って欲しかったんだなあって。ちゃんとわかりあえてよかったね。

玉置玲央さん

 運動神経良すぎてビビりました。柿喰う客ってそんなにアクロバティックな劇団でしたっけ?カテコでバク転したの見てびっくりしちゃった。すごく軽い口調なのに、薄暗さがあって、絶妙なバランスでした。
 
 遠山怖かった〜。達朗は智朗の弟だから、化けて出てきても納得するじゃないですか。でも遠山って、どうして出てきたのかわからないんですよ。だって、ロッカーに下敷きになって動けなくなって*4、智朗は「ごめん」って言いながら部室を出たきり、帰ってこなかった。燃える部室の中で「涼しい、涼しい」って直前までやってた反対言葉ゲームを一人で続けていた。そんな遠山が今さら智朗や関に会うってどういう感情なんだろう。遠山自身も形容しがたい感情だったのかもしれない。達朗が一緒じゃなかったら、って思うとね、遠山にとって達朗っていうストッパーがいて本当によかったね。
 言い訳を重ねる関に「お前はなにが言いたいの。お前が俺は悪くないっていうたびに、傷つくんだよ!」って責めるシーンが悲痛で、泣きたくなった。誰も悪くないはずなのに、互いの期待役割がずれるからディスコミュが生まれる。
 
 最後に自分のために全部捨ててくれた二人を見て「もうこれ以上幸せなことはない!」って言って去る遠山の豪快さというのかな。良い奴ですよね。裏でめちゃくちゃ努力してて、たぶん自分に厳しいから一生幸せになれなさそうだけど。そんな遠山が最高の幸せを迎えた、これ以上はないって言うのなら、ちゃんと報われたんだなって思う。
 
 

余談

 相対的浮世絵を見て、HEY!ポール!を思い出した。影のある山本亮太くんへの既視感かな。お話は似ていないのですが、死生観が近いのかな。記事はこちらから。

*1:智朗は会社を辞め、関も借金して智朗にお金を貸すが、智朗は会社から訴えられる。関も女子高生との恋愛関係がバレて教師をやめる羽目に。

*2:赦されたがっていた、とも言えるかもしれない

*3:ただし、カテコでバク転はする(11/23)

*4:本当は動けたのかもしれないけれど、動けないと脳がそう判断してしまった