愛してやまない

観劇ログ、はじめました。

ノンバーバルパフォーマンス「ギア -GEAR-」

 ノンバーバルパフォーマンス「ギア -GEAR-」を拝見しました。実際に拝見したのは二月なんですが、もじもじしてたら三月に入ってしまった。
 
 噂に違わず、良かった。ノンバーバルだけど雄弁。登場人物がみんなすごく、人間っぽい。ロボロイドなのに、ドールなのに、という前提は残したまま。決められた動きしかできなくて感情も知らなかったのに、どんどん人間らしくなっていく。表情も豊かで、台詞がなくてもとてもお喋りだ。

演出について

 プロジェクションマッピングの視覚効果もだけど、音とか視線誘導の仕方とか、人を惹きつけるシステムが本当によくできてると思った。感覚だけじゃなくて、ロジックがある。プロジェクトとして作るとこういう仕組みになるのかな。
 マジックや大道芸は特にいかに人に集中させるかの個人技が必要だと思っているので、パフォーマンスの特質性みたいなものが仕掛けとして組み込まれてるのかもしれない。
 
 各々のパフォーマンスを、どう魅力的にみせるのか。どうやって決められたストーリーの中に組み込むのか。役というよりポジションの割り振りなので、パフォーマーの素っぽさも感じた。ストーリーも配役もあるのに、演劇かって聞かれるとちょっと不思議な感じ。
 
 それから、思ったよりも紙ふってくるんですね。もうどぼどぼで。開演前にゴーグル貸しますよってこういうことか!と納得の物量でした。楽しいね。こういうの好きだな。アトラクションみたいだ。

ストーリー解釈・感想

 ロボロイドとの共鳴で、徐々に人間に近付いていくドールたち。なのに、不慮の事故で古びた工場は崩壊。ロボロイドたちは行動停止に。残されたドールが今までの遊びを再現しても、ロボロイドたちの体がパタンと落ちていくだけ。
 寂しい。悲しい。人形の時は知らなかったはずの感情に出会って、初めての涙に驚きながら慟哭するドール。この久しぶりに聞く人の声の、力強さと言えば良いのかな。それがとても良くて、引き込まれた。
 
 最後は「ドールの精一杯の生命エネルギーを使って、自己犠牲的にロボロイドを復活させる」解釈なんだろうな。ドールの命が、ロボロイドたちを動かす新たなギアになる。
 元どおりの工場。だけど、最後に残った人形は確かにドールがいた証。寂しいけれど、ドールが生きていたすべての時間がなくなるわけではないのは救済だと思った。

私はこの解釈を推したい

 でも私は「誰もいない絶望に耐えられなくなったドールが『人間になんかなりたくなかった/こんな感情知りたくなかった』と願って元のドールに戻ってしまった」説を推していきたい。根暗なので……。
 
 そもそも元おもちゃ工場としか明言されていないので、ロボロイドたちが過去の記憶に囚われたまま、わけもわからず工場を稼働させている気になっているという可能性があるわけですよね。お話の前提として、です。
 これが無人で生産性のない無価値な廃工場で起こった、誰にも気付かれない奇跡だったとしたら、それはとても美しいことだと思うんですよ。退廃の中に、喜びと悲しみが詰まっている。一度死んだはずの場所で、一度も生きたことがないはずのロボロイドとドールの間で。感情の機微を感じること、すなわち生きているということ。
 
 存在を認知していないものを欲しがることは不可能だけど、もう知ってしまったもの・持っていたものを奪われる悲しみって耐え難いことだと思う。以前のドールにとって孤独は日常。でももともと生命活動してないので、何も感じてはいない。
 ロボロイドたちによって孤独が非日常になってしまったドールは、もう生きているんですよね。それからロボロイドを奪われてしまう。そんなの、もう一度死ねって言われてるのと同じだと思う。
 
 強烈な感情の高ぶり、悲しみ。ないはずの涙腺から涙が溢れてくること。初めての涙に戸惑いながら、湧き上がる感情に呑み込まれるドール。そのつっかえた歯車を外してあげて、元のままの工場に戻したって言っても、きっとなんにもおかしくないんじゃないかな。そんな結末は救われないけどね。